




未来は果たして、どんな建物が並んでいるのだろう。
小さい頃に思い描いた、夢の建築物。もしそれが、目の前にあるとしたら?
神奈川県営・川崎市営河原町団地。
この団地は大谷幸夫氏が描いた「未来の団地」といえよう。

【住所】神奈川県川崎市幸区河原町
【交通】JR/京急川崎駅より徒歩約20分・バス約10分
【戸数】3,209戸
【間取】1DK~4DK/30㎡~70㎡
日本の大動脈、東海道線の主要駅である川崎駅。
ラゾーナ川崎をはじめとした商業施設によって都心のイメージがあるが、そこから徒歩15分歩くと白く輝く軍艦が見えてくる。河原町団地である。
東京製鋼川崎工場跡地に昭和47年(1972年)に建設された河原町団地は、高層住棟のツインコリダー構造とスキップフロア構造メインの団地である。

About
団地概要

Portrait
作品撮り








”余白”という空間を舞う。
過密になる都市。人口増加により住宅不足が深刻化する都市。その中で新たな住居の形を試行錯誤した団地が様々な地域に建設された。
住居を構成するエレメントのなかで、軽視されがちなものがある。「余白」である。
よくわからない公園、広場。そんな過密する都市に存在する「余白」が、都市に自由を与える。

Danchi
団地めぐり
宇宙コロニーの真ん中で。
都市と団地。商空間と住空間。街は様々な目的を持った建物や空間が幾重にも重なりながら、その”色”を作り上げている。
そんな街は、これからどんな進化を見せるのであろう。
絵具でいろんな色を使いすぎると黒に近づいてくるように、街にはある程度の「塩梅」が必要であろう。それは、公園や広場などかもしれない。団地は、住む空間と公園や広場をミックスしたような存在となるべきである。
神奈川県の河原町団地。この団地は「都市としての団地」のあり方の一例を示す団地である。

逆Y字の独特な意匠が特徴的。

複雑に絡み合う骨組と住棟。

”宇宙船”のような意匠。

「団地と日照」の両立を図るY字の反対部。
宇宙コロニーの”心臓”
広大な場所に効率よく、景観よく配棟された住棟。空の青色と、団地を縫うように育つ緑、そして住棟の灰色。それぞれがそれぞれの色をして、美しく並んでいる。

Danchi No,4-9
4〜9号棟

1号棟へ続く道。そびえ立つ住棟。

骨組みという”内臓”を抱える2号棟。

ツインコリダー住棟のコア部。

1号棟。
「内臓」を抱えて。
耐震補強を施されたツインコリダー住棟は、その吹き抜けを物々しい骨組で補強している。
それはまるで内臓を抱えた生物のようであり、それぞれ直線的で無機質なもので構成されているのに、全体像は少し生物的な印象を受ける。
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Danchi Architecture
団地建築
4・5・6号棟図
7・8・9号棟図。
広場の美学。
河原町団地の設計に携わったのは、京都国際会館など著名な建築物の設計も手掛けた大谷幸夫氏。
過密する都市の中で、「広場」の設置をいわば都市の”余白”と位置付け、その結果が4〜9号棟の逆Y字の印象的な住棟へと繋がった。大谷氏は自身の著書の中で、河原町団地の設計について下記のように語っている。
川崎の計画では多次元の問題をはらんでいるが、最終的に、それらを二つのレベルに収斂させようとした。
その一つは、逆Y型の住棟とそこに内容された半戸外空間に表現されている。逆Y型という組織方法は住戸の質の確保と、高密度の集合を同時に満足させるものであり、また、逆Y型の内部空間は建築に内包された都市的社会的な因子の解放として、そして、そのことによって人びとの心理的なプライバシーを保障し、そのうえで新たな主体的な連帯の可能性を開こうとしている。
他の一つは、団地の組織化における十字型に交差したグリーン・スペースである。これは、団地内部を組織づける骨組であると同時に、人びとの戸外生活のための空間である。また、それは団地内部の組織づけのためにだけあるのではなく、歩行者道の確立、学区割りの再編成など、外界としての周辺市街地の秩序づけに対して、それを誘導し補強するためのものである。つまりこの十字型のグリーン・スペースは、団地の内部と外部に関わる幾つかの命題を集約的に表現している。
大谷幸夫 『建築・都市論集』所収の『個と総体』より
いま、改めて河原町団地をみて思うことは、この団地がいわゆる”レトロフューチャー”であるということ。
現在、近未来的団地に住んでいる住民の大多数は高齢者であるという事実もある。しかし、河原町団地がもたらそうとした建築思想、都市工学的思想は現代の高層住宅や団地の設計思想に大きな影響を与えていることは、これまた事実である。

Danchi Photos
団地写真













Archive
アーカイブス


膨張する都市。
居住地も刻々とその姿を変えて発展を続けてきた。団地は、そんな発展の最中に誕生した。河原町団地はの建築思想は後世に登場した団地に引き継がれなかった部分も多かったかもしれない。しかし、発展とは試行錯誤によって生まれるものである。